8/12/2009

エピローグ2 航海の代償

今回の旅に参加できるかもしれない、と聞かされたときに殆ど何も考えず、『参加したい』と表明していました。

しかし、無知とは恐ろしいもの。自分が準備しなければならないことには多くの変動要素がありました。
まず、日程の確保。考えてみれば、レース後の回航なのですから、いつゴールするのか、どんな損傷があるのか、その損傷を修理・補修するとしたらどのくらいかかるのか、ゴール後のイベントはどんな予定で構成されるのか、など日程が変わる要素はいくらでもあるのです。

取引先やビジネスでつながりのある人達には、今年に入ってから、『これまで長期の休みをとらずにいたから、7月末から8月中旬くらいまでお休みをとろうと思っています。なんとセーリングでハワイからサンフランシスコまでなんです。』なんてことを小出しにしながら言っておき、この時期にいないことをアピール。日頃から非常に緊密に関係を保っている人ほど、『そうなら、それまでにやらないといけないことをきちんとやっておくように、自分も準備しておくよ』なんて言ってくれました。

でも、実際に出かける数日前になり、不安が強烈に押し寄せます。『サンフランシスコについた後、メールを見たらどんなひどいことが起こっているだろうか』と。もし、自分がいない間に、自分の仕事の拠り所がなくなっていたりしたらどうしようなんていう、自意識過剰ともいえる気持ちになり、『なんか、回航に参加しなくていい理由はないのかしら』なんていう姑息な思いもでてきます。

そして、出発前日になり、シリコンバレーの仲間が壮行会を開いてくれました。こんな自分の気分を察してか、『別に2週間や3週間いなかったからって、世の中は変わらないよ』と声をかけてくれる方もいらっしゃいました。

そうだ、そうなんだ。きっと、『自分の得る体験>不在期間のロス』っていう風に考えるだけじゃなくて、『自分の得る体験>不在期間のロス≒ゼロ』って考えればいいのだと。これで腹が据わったというか、落ち着いたというか。

結局、回航の前後に緩衝期間を設けて、あまりひどく忙しくしないように配慮しておきました。これで大丈夫(と言い聞かせます)。

次は、誰と行くのか?これも問題です。私にはそれほど多くのひととセーリングをした経験がありません。しかも明らかに今回は外様です。何を進めるにも流儀が違うだろうし、乗る船も隅々まで知っているわけではありません。
しかし、こちらは仕方なし。とりあえず出航前に、それぞれの方とは面識があるのだから、なんとかなろうと(こちらも言い聞かせます)。

ふたつほど懸案事項を挙げたものの、こうしたことは言い訳の類。
行った後に感じたことは、『なんと自分の存在は小さいものなのか』でした。

結局、旅の代償なんてゼロ。得られたものは、未来への希望と自分が果たすべき義務。旅は常に人を大きくしてくれるものだと実感しています。







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